オリンピックバッシングの中、3・4波の間をついて旅行
2021年3月は、2年ぶりに選抜高校野球が行われたりと明るいニュースもある中で、修学旅行がなくなったり活躍の場を奪われた生徒たちの悲痛な訴えもあるなど、過剰な自粛への不満が吹き出し続けました。
そんな中でオリンピックの聖火リレーも始まったのですが、スポンサー企業が表に出過ぎた演出をめぐってバッシングが起こりました。
聖火リレー自体も自治体によってはコースを変えたりして人目につかないところでやるなど神経をとがらせていましたね。
聖火リレーに参加・辞退の選択を巡ってSNSが炎上したり、そもそも東京オリンピックをこの状況下で行うのか?という議論も巻き起こりました。
コロナの七日間平均推移は、1日が1006、31日が2010と後半に再び増加に転じました。なぜか春休みと連動するんですよね、そこが不思議なところです。
結局旅行については8日から14日までまるまる一週間実施することができました。
ただ2月に東北で震度6強の地震があって東北新幹線が一時不通、開通後も臨時ダイヤでの運行となってギリギリまでルート変更の繰り返しでした。
大人の休日俱楽部パス 東日本・北海道と週末パスで大旅行
1日目 浜松→倶知安→旭川
この日は、仙台の丸富そばでつばさスペシャル(生姜・納豆天そば)を食べに寄り、長万部から函館本線の山線に乗りキハ201やH100を体験して旭川へ向かいました。
2日目 旭川→稚内→網走
ダイヤ改正で廃駅が11も出た宗谷本線を普通列車で北上し、網走へはキハ183に乗車。網走駅でスタエフの鉄宿さんに拉致されて配信部屋から配信したのも懐かしい思い出です。
3日目 網走→釧路→東鹿越→静内
この日は釧網本線、根室本線や日高本線を通り、代行バスも新得→東鹿越、鵡川→静内と2区間乗車しました。釧網本線の茅沼ではタンチョウを見られました。
月末に廃止となる日高本線のバス代行区間に乗るべくルート作りに苦労しました。
4日目 静内→様似→苫小牧→新青森→深浦
この日も日高本線の代行バスで様似までを往復しました。よくこんなところを走っていたものだなと思うほど自然の中に朽ちかけていく姿を目の当たりにしました。
大沼公園あたりで普通列車を上手に乗り回してから一気に本州に出て五能線の深浦まで。
こちらも翌日で運行終了になるキハ48を目指して大量の葬式鉄が集まってきているようです。
深浦観光ホテルの方に送迎をしていただき、大変助かりました。
日本一の秘境駅小幌駅は一瞬で通過!苫小牧から新函館北斗まで列車移動
5日目 深浦→東能代→新潟→ガーラ湯沢→大宮→米沢
大人の休日俱楽部パスは最終日。五能線は新型のGV400に乗ったので混雑は避けられました。
疲労と洗濯物の処理の問題が出て当日急遽ルート変更をしてガーラ湯沢を急いだのですが、その後の行程を欲張ってしまい、列車遅延に巻き込まれる羽目に。米沢まで移動してコインランドリーに駆け込みました。
6日目 米沢→峠→荒砥→新庄→余目→坂町→米沢→槻木→福島
この日から週末パスを使っての2日間となります。
昨年乗り損ねた峠駅や山形鉄道の荒砥駅にも足をのばし、余目からは海里号にも乗車。米坂線の空いた車内で海里号のお弁当をいただき、あらに阿武隈急行の最終列車を3本乗り継いで福島へ。
7日目 福島→善光寺下→別所温泉→小諸→小淵沢→塩尻→名古屋→浜松
最終日はしなの鉄道の快速軽井沢リゾート号のスイーツプランを利用したり、上田電鉄の代行バス区間に乗ってみたり、小海線のHIGHRAILに乗ったりとまぁ充実していたのですが、最後に中央線の大月より東が信号機故障で運転見合わせとなり大混乱。多少ルート変更をして中央西線回りで帰りました。
最後が初めてのN700Sだったりというのが自分らしいところです。
天浜線でゆるキャン△号走り出す
2月12日に運行開始した天竜浜名湖鉄道のゆるキャン△号をようやく撮影に行くことができました。
この後何度もお世話になった列車ですが、アニメの設定にもこの鉄道が出てきます。
あとは時々中田島砂丘に出かけたり、散歩の途中で桜を眺めたりとか、2020年に比べればどう過ごしていけばいいかが分かってきて息苦しさは減ったように思います。