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神戸電鉄を奈良・斑鳩1dayチケットで乗り継ぎ旅

ひとり旅
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午前5時55分。神戸電鉄三田駅の改札を、私は一枚のきっぷで通った。「奈良・斑鳩1dayチケット」。名前のとおりなら奈良へ向かうためのきっぷだが、この日の私は、奈良をかすめただけで、最後は名古屋の夜にいた。
このきっぷが神戸電鉄内乗り放題であること、神戸高速、阪神電車、近鉄奈良線や京都線が乗り放題であることを上手に使い、1日乗り放題してみたということ、

あとになってスマートフォンの写真を並べてみると、この日は86枚を撮っていた。一枚ごとに残っていた撮影時刻と位置情報をつなぐと、地図の上に一本の線が浮かび上がった。今回はその線をたどりながら、2025年1月23日の一日を書いてみたい。

写真の撮影位置を時刻順に結んだ一日の動き。線は直線で結んだもので、実際の線路の形ではない
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前の晩、三田にて

旅は前の晩から始まっていた。1月22日の夜、新大阪から三田へ移り、神戸電鉄の三田駅前で一泊した。駅前の店でラーメンと炒飯を頼んだ。
目的は神戸電鉄を全線乗車すること、もちろん”各駅停車”前提であるが、普通列車であれば各駅停車という前提さえクリアすれば良い。平日しか走らない特快速にも乗車することが目的となれば、起点駅は自然と三田になる。近くに宿も取れた。行くまでには、特急こうのとりで移動、もちろん当日に特割の指定券を購入して安く移動していく。徒歩数分のところにあったお店で夕食をすます。ガタピシとした木製のドアゆえに1月の冷たい風が少し吹き込む中で食べた記憶がある。

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夜明け前の公園都市線

まだ真っ暗な三田駅のホームには、明かりのついた電車が2本、静かに並んでいた。駅名標の青が、蛍光灯の下でいやに鮮やかに見えた。

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最初に向かったのは公園都市線だった。三田本町、フラワータウン、南ウッディタウン。ニュータウンの中を走る短い路線で、どの駅もまだ眠っているようで、既に三田方面への通勤客や通学客が並んでいるのが見える。6時17分、終点のウッディタウン中央に着いた。乗ってきた電車の窓の向こうに、すぐに列車で暖を取ろうと乗り込んで静かになったホームのベンチが並んでいた。

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三田から公園都市線、有馬線、粟生線、北条鉄道へ。午前中はほぼ兵庫県内を行ったり来たりしていた

三田へ折り返すと、発車案内に「特快速 新開地 6:47」と出ていた。空はようやく群青色になりかけていた。二郎駅までは各駅停車だが、そこから新開地まで容赦なく通過していくこともあり乗車率が既に高い。続々と乗車してくる。二郎駅で降りる自分の席もすぐに誰かが座っていった、

霜の二郎、湯けむりの有馬

二郎駅で降りたのは6時58分。小さな駅舎の外へ出ると、目の前の田んぼが一面、白く凍っていた。枯れ草の一本一本に霜がついて、駅名を書いたポールだけがまっすぐ立っている。吐く息が白かった。
すぐに後続の道場南口始発の準急がやってきたが、既に座席がほぼ埋まっている。

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有馬口で有馬線に乗り換える。やってきたのは赤とクリーム色の1100系。丸いヘッドライトの古風な顔つきで、終点の有馬温泉まではわずか一駅だ。7時18分、木目調の看板に「有馬温泉」の文字。温泉街に寄ることはせず、近くのコンビニで朝食を買って、そのまま折り返しの電車に乗った。

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坂の上の丸山と鵯越

有馬口で新開地行きの準急に乗り換える。立ち客も出るくらいだが、谷上で地下鉄に乗り換える人が一気に降りて、座席も空いたので座っていく。新開地に着いたあと各駅停車に乗り込み、丸山で降りた。8時13分。ホームから見下ろすと、山の斜面にびっしりと家が並び、その向こうに神戸の街がかすんで見えた。駅舎の横には古いレンガの壁が残っていた。

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隣の鵯越まではほんの少し次の各駅停車に乗る。この時間帯ならば数分単位で電車がくるが、日中は15分単位にまで広がる。小さな駅舎の壁には騎馬武者の絵が描かれていた。源平の合戦で知られる地名が、そのまま駅の名前になっている。

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粟生線、そして北条鉄道

そのまま粟生行きの普通列車に乗る。通勤ラッシュも終わり、陽射しがまぶしくうつる。粟生線は、神戸電鉄のなかでいちばん西へ延びる路線だ。三木駅で降り、隣の三木上の丸駅にも立ち寄った。三木上の丸の駅舎は木造で、板壁が冬の朝日を受けて銀色に光っていた。

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10時3分、終点の粟生に着いた。粟生はJR加古川線、神戸電鉄、北条鉄道の3社が集まる駅だ。ここからは北条鉄道に乗り換える。待っていたのは、紫の車体に白い星を散らした気動車だった。

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北条町までは30分ほど。広い播州平野を、小さな気動車がのんびり進む。北条町で折り返し、帰りは播磨横田、法華口と途中の駅で降りてみた。法華口では、駅むすめのパネルが出迎えてくれた。帰りの車内では運転台越しに前を眺めた。単線のレールが枯れ草の中をまっすぐ延びていた。

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11時6分、粟生に戻ると、ホームには赤い神鉄1500系が停まっていた。隣の線路には加古川線の電車。ここから新開地行きに乗り、神戸の街へ下りていった。

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黄色い武庫川線と、開業したばかりの夢洲

昼すぎに神戸三宮を通り、阪神電車で東へ向かった。13時7分、武庫川駅。阪神本線のホームは武庫川の上にあり、足元を川の水が流れている。ここから分かれる武庫川線は、わずか4駅の短い支線だ。やってきたのは、タイガースのマークをつけた真っ黄色の5500系だった。

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東鳴尾を過ぎて、終点の武庫川団地前まで10分もかからない。武庫川まで戻ると、今度は阪神なんば線へ直通する電車に乗った。

九条で地下鉄の中央線に乗り換えた。目指したのは夢洲。この4日前の1月19日に開業したばかりの駅だ。改札を抜けると、天井の高いコンコースが広がり、長いエスカレーターの先から冬の光が差し込んでいた。

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地上に出ると、正面には「EXPO 2025 OSAKA, KANSAI, JAPAN 東ゲート EAST GATE」の文字が掲げられていた。開幕は4月。ゲートの前ではまだ重機が動き、フェンスの向こうでは工事が続いていた。3か月後には、この広場を人波が埋めることになる。

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西大寺から京都、湖のほとりを東へ

夢洲から引き返し、近鉄奈良線に入った。15時過ぎ、阪神の車両と近鉄の特急が並ぶホームに立った。きっぷの名前にある奈良には、ここで最も近づいたことになる。けれど私は大和西大寺で京都線に乗り換え、北へ向かった。発車案内には京都行きと神戸三宮行きが並んでいた。

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京都に着いたのは16時過ぎ。写真に残っている食事は、駅構内にあるカレー店。ルーとごはんが別々に出てくるカレーを、遅い昼食にした。

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京都からはJRで東へ。琵琶湖の東岸を走るうちに日が傾いていった。17時31分、南彦根。ホームの屋根の向こうの空は、青から紫へと色を変えはじめていた。

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夜の栄、KENTO’Sで

名古屋に着いたのは日が暮れてからだった。栄に行って「名古屋KENTO’S」でまず一杯。19時を過ぎるとステージの照明が灯り、バンドの演奏が始まった。赤や紫に染まる店内でハウスバンドのMirrorBallsの演奏を楽しむ。

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2ステージを楽しんだ後は、名古屋駅だったと思うが、カエルの形をしたケーキを購入していく。
実は今日は自分の58度目の誕生日。こんな形だが自分にお祝いしたいと思う。

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一枚のきっぷと、一本の線

三田の改札を通ったのが5時55分。最後の写真が21時35分。確か新幹線に乗って帰ったので自宅に着いたのは23時近くだったと思われる。この間に乗った鉄道会社は、神戸電鉄、北条鉄道、阪神、Osaka Metro、近鉄、JRの6社になる。

「奈良・斑鳩」の名を持つきっぷを手に、私が向かったのは三田のニュータウンであり、霜の降りた田んぼの駅であり、播州平野の単線であり、まだ工事の続く万博会場の入口だった。地図の上の線は、まっすぐ奈良へは向かっていない。それでも、写真の一枚一枚には、その時刻にしかなかった光と温度が写っている。

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