鎌倉殿の13人からどうする家康へリレー旅

2022,2023の大河ドラマに合わせて鉄道を使った日帰り旅

2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
2023年の大河ドラマ「どうする家康」
この2つに関連する場所をつないでみた日帰りコースを作成して実行してみました。
実際はバス旅行向けに作ったものですが、鉄道と路線バスを利用してみるといいウォーキングコースとしても成立しました。

浜松7:07発の普通列車で出発。豊橋からは7:58の特急に乗車して次の国府で豊川稲荷からくる特急に乗り換えて本宿駅で下車します。

法蔵寺(本宿)

本宿駅を出たら左に向かって横断歩道を渡ってから旧道沿いを歩いて10分ほどで法蔵寺に着きます。
開くのは9:00からですが、境内の散策とかであれば8時過ぎとかでも大丈夫でした。

 

徳川家康が幼少期の頃に学びをした場所

ここは徳川家康が幼少期の頃に学んだ場所であり、当時に使われたものが実存しています。
また徳川家康の父親である松平広忠の墓所(5ヶ所存在するうちの1つ)があります。
外からでも六角堂を見ることができます。
お手植えの桜の木も立派に残っていました。

新撰組・近藤勇の首塚がある場所でもある

そして不思議なことに新撰組隊長・近藤勇の首塚があります。
京都三条大橋西に晒された首を同士が持ち出したものが、さまざまな経緯を経てこの地に埋葬されたものだと言われていますが、江戸のはじめと江戸の終わりから始まった2人がつながるというのはミステリアスですね。

大樹寺(岡崎)

本宿駅は急行電車が停まりますので、1時間あたり急行4本、普通2本の割合で電車がやってきます。
ここから東岡崎駅まで移動し、北口にあるバス乗り場(3番もしくは4番)から大樹寺に向かいます。
複数の系統が大樹寺方面に行きますので、詳細は名鉄バス乗り場で確認ください。
この時に乗ったのは大門駅行きのバスで大樹寺バス停で下車します。(東岡崎から230円・Suica等利用可能)

松平家・徳川家の位牌があるお寺

大樹寺に入る前に、まずは大樹寺小学校の北側にある山門、時間があれば南側にある総山門を見ておくのをオススメします。
本堂に上がってビデオを見たあと拝観料を(400円)払って冷泉為恭作のふすま絵などを眺めたり、松平家と徳川家の位牌、特に徳川1~14代将軍の位牌は背の高さに合わせて作られたものと言われており是非みていただきたいところ。
外の徳川家康像の睨みを聞かせた顔も忘れずに見ておきましょう。

伊賀八幡宮(岡崎)

大樹寺からJR岡崎駅行きのバスに乗り、4つ目の八幡社バス停で下車(170円)すると、赤い鳥居が道沿いに建っています。ここからが参道になっていますので一直線に歩いていきます。

徳川家康が大きな戦の時に必ず戦勝祈願を行った場所

ここは徳川家康が大きな戦の前には必ず戦勝祈願を行ったところで有名で、岡崎春の風物詩である家康行列の出発地で、家康公の戦勝祈願に習って出陣式が行われます。
現在は石造りの神橋を通ることはできないものの、境内も立派に整備されており、徳川家光によって東照大権現が祀られたりと幕府によって大事に扱われたことがみてとれます。

やまに旅館(野間)

ここからバスで名鉄東岡崎駅に戻り、特急列車等で神宮前に向かい、名鉄内海線の特急や急行を使って終点内海1つ手前の野間駅で下車します。(快速特急・特急乗り継ぎで71分・1410円)
野間駅から10分ほど歩いていくと野間大坊に並ぶ感じで建っているのがやまに旅館です。

源義朝御膳をいただく

美浜町の6つの場所で歴食に認定された源義朝御膳(要予約)を食べることができます。

木太刀の一本でもあれば・・・のセリフにある護摩木は野間大坊にある源義朝の墓に大量に置かれている護摩木を表しています。
その他1つ1つの料理に意味があるので、見た目と味の両面から満足できます。

野間大坊(野間)

食事を楽しんだあとは野間大坊を訪れます。
血の池や四国88ヶ所の砂を集めた道(ここを歩けばすべてを歩いたのと同じ御利益があるといわれています)を通ったりしながら客殿へと向かいます。

源義朝の最期を住職の話で絵解きしていく

客殿では住職より源義朝の最期の話を狩野探幽(幕府御用絵師)が描きあげた絵(最期図)を使って解説する絵解きを聞くことができます(要事前予約)。
源義朝の墓もありますので、やまに旅館でいただいた時にあった護摩木を手向けていきましょう。

常楽寺(半田)

野間駅に戻ってから急行や特急列車に乗車して河和線の青山駅で下車します。野間駅に停車する列車は全て青山駅に停車します。(約21分・470円)
そこから8分ほど歩くと常楽寺が見えてきます。国道247号線沿いにある来迎院のところから入っていき、中に建物(超世院、遣浄院、真如院、来迎院など)が点在しています。

徳川家康が桶狭間の戦いや本能寺の変で立ち寄った場所

ここの住職には徳川家康の母親である於大の妹の子も名を連ねており、家康自身も桶狭間の戦いで今川義元が討たれたあとや本能寺の変で織田信長が討たれたあとに立ち寄るなど、身の危険を回避した場所として深くかかわりがあります。

東浦郷土資料館(東浦)

時間があれば東浦郷土資料館に寄るのもおススメです。
(※令和5年1月4日まで設備工事で休館中)
ここへは青山駅から知多半田駅まで移動後(2駅、170円)、徒歩でJR武豊線の半田駅まで移動(約10分)してから、武豊線の大府方面行きに乗車して4つ目の石浜で下車(210円)、そこから徒歩で15分ほどというのが一般的ですが、その先の緒川駅からコミュニティバスが出ており(但し本数少なめ)それを利用する手もあります。

於大の方はここ東浦町を中心とする緒川城主の水野家の生まれで、松平家に嫁いで徳川家康を出産しています。

 

徳川家康の母(於大の方)に深くかかわる場所

東浦町は徳川家康の母親である於大の方の生誕地であり、古い町並みとともに於大にまつわるものが多く残されており、於大まつりをはじめ、ゆるキャラも作られて観光に力を入れています。
於大のみちが緒川駅南を流れる明徳寺川沿いに整備されていて、於大公園にある乾坤院までが歴史散策道ともなっています。

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