初めての座席夜行の思い出

ひとり旅

1988年3月17日の夜行

札幌から稚内行きの利尻号

この時は、青函連絡船の最終日から青函トンネルを初めて通過するという長期旅行を20日間有効な北海道ワイド周遊券を使って乗りまくりしていました。
既に東海道本線を走るブルートレインには乗ったことがあったので、寝台車についての乗り心地は分かっていたものの、座席夜行というのは初めてなので、どんな車両なのかな?と思っていました。

やってきたのはブルートレインみたいな青い客車

とはいえ、中はごくごく普通の2人がけ座席です。
隣にも人が乗ってきましたし、自由席車両はけっこうにぎわった中で札幌駅を発車したという記憶があります。
自分の想像では、グリーン車並みにフカフカで横幅も縦幅も広いフルリクライニングシートあたりを想像していたのですが、もろくも崩れ去りました。
灯りは煌々とついたままですし、旭川まではビジネス客や通勤客とも一緒になる感じです。
「いや、これ一睡も出来ないパターンじゃん?」と。
予感は当たり、途中の駅で降りても稚内に向かう夜行客が乗ってくるので意外に減りません。
旭川に到着して、機関車が電気機関車からディーゼル機関車に変わったかどうかは定かではないのですが、ようやく少し減光されました。

14系客車

案の定、ロクに眠れずに稚内駅へ

外の景色はほとんど人家がないので真っ暗、宗谷本線に入るとあんまり線路の具合も良くないのか小刻みに揺れたりします。
座席のリクライニングはちょっとだけお尻が下がるくらい。とてもじゃないけどこれで寝ろというのはムリでした。

抜海を抜けるあたりで水平線の向こう側に利尻富士が見えたかどうか?
かくして、21時20分発、6時着までほぼ明るい車内、うつらうつらした記憶しかないまま稚内駅に着きました。
ぼーっとしながら駅そばを食べ、8時に出る定期観光バスに乗り込んで宗谷岬と稚内公園に行った記憶があり、ちょうど部分日食があったので眺めたことも覚えています。
帰りは昼前に出発する急行天北号に乗って、この翌年に廃止された天北線に乗車しました。昼間なのに14系客車(実は朝来ていた利尻号の車両らしい)が使われていたのが驚きでした。
名寄で降りて、一日3本しか走っていない深名線に乗って深川まで行き、札幌へと戻っていきました。


その後は、覚悟を決めて乗ることに

ほぼ眠れないということが分かったので、1年後の瀬戸大橋開業の時に乗った高松発宇和島行きは、更にひどいボックスシートに乗ったりとか。
究極は大垣夜行(165系。といっても上りの372Mでしたが)や臨時快速(165や167系)の9372Mで、これはのちのムーンライトながらと合わせて10回以上使いました。

他に乗った座席夜行列車

急行はまなす(14系)札幌→青森
特急オホーツク(183系)網走→深川 そのあと深名線
快速ミッドナイト(56系)函館→札幌
急行アルプス(165系)八王子→松本
急行妙高(489系?)上野→長野 そのあと飯山線かな
急行能登(489系)上野→金沢、直江津→熊谷
快速ムーンライト越後(165系) 新潟→新宿、高崎→新潟
急行八甲田(12系)上野→盛岡
急行津軽(583系)上野→秋田
急行きたぐに(583系)大阪→長岡
急行ちくま(383系)名古屋→松本 そのあと快速ムーンライト信州81号で信濃大町へ
快速スターライト(58系) 名古屋→熊野市
快速飛騨路(58系) 名古屋→高山
快速新宮行き2921M(165系) 新大阪→新宮
急行だいせん(キハ65系や12系)大阪→米子 鳥取→福知山
快速ムーンライト九州(14系) 京都→下関
快速ムーンライト高知(12系) 大阪→高知
特急ドリームつばめ(787系) 久留米→西鹿児島
特急サンライズ出雲(285系) 浜松→安来

とまぁ、凝りもせずに沢山乗っていますね。

夜行バス

夜行バスを使いだしたのはいつだろうか?

一番最初が、高校のスキー教室で熊の湯スキー場に行った時でした。
大人になってからは多分2006年に利尻礼文へ行った時のバスじゃないかな?
ということで、ほとんど利用していませんでした。

銀嶺バス 札幌→稚内
根室交通 札幌→根室
岩手県交通 池袋→釜石

夜行フェリー

寝台がメインなので、2等はほぼ記憶なし

夜行フェリーは意外と寝台料金が安いので、寝台移動が多いです。
2等船室(いわゆるザコ寝)で移動したのはこの2回です。
大阪高知特急フェリー 高知→大阪
宇和島運輸フェリー 別府→八幡浜

夜行飛行機

国際線となるわけですが

海外旅行の時に2回乗ったことがあります。

カンタス 名古屋→ケアンズ
フィンエアー ヘルシンキ→セントレア

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