新日本航空のいわゆる新規路線
2018年4月に日本の定期路線がある飛行場については全て制覇していたのですが、その後小さな航空会社が週に2便くらいの航路を新しく運用することになり、新たに制覇しなければならない飛行場が2つも出てしまいました。
1つが沖縄の粟国空港(第一航空)で、もう1つがこの薩摩硫黄島飛行場(新日本航空)です。
全く存在すら知らなかったのですが、何かしらWEBを見ていた時に見つけてしまい、あらためて調べてみたら2つも出てきてしまったのはまったくの迂闊でした。
本来粟国空港は昨年の9月に制覇する予定だったのですが、まさかの自宅が台風による線状降水帯豪雨で床下浸水したため予定を取りやめてしまったので、先に薩摩硫黄島から行くことにしました。
悩ませるのは、月・水のみの週2便の運行であること、タッチ往復しようものなら6万円もかかるので、フェリーと併用したいのですが、こちらも週4便で、日帰りで鹿児島港に戻れる便と黒島に1泊する便があるので、スケジュール調整に頭を痛めました。
申し込みはメールで1ヶ月前から行っており、空きがあれば料金(30,000円)を指定口座に振り込んで確認メールが届けばOKです。
9:40鹿児島空港(セスナ機)薩摩硫黄島飛行場10:30
鹿児島空港に向かったものの、予想通り風が強いです。
ほどなく電話がかかってきて、強風による条件付き運航となったとの連絡です。ここでキャンセルをすれば全額返金、条件を受け入れて飛んだ場合、仮に着陸できなくて鹿児島空港に引き返したとしても返金はありませんとのことで、結構頭を悩ませる選択です。
この先の行程は鹿児島港を昨夜出た船に乗るのですが、こちらは既に無事に出港しているので意を決して乗ります!と返事をします。
空港の指定された待ち合わせ場所で待っていると、お迎えの車がやってくるのでおおよそ5分ほどの場所にある新日本航空の事務所に入ります。
ここで乗員名簿に記入をして、セーフティチェックを受けながら出発準備まで待ちます。従業員の方と話をすると天候に泣かされて何度か来ても全然乗れない人もいるとか、今日のフライトだとジープに乗って砂浜を走るような感じだとかいろいろ脅され(笑)酔い止めを飲んでおいてよかったと思いました。
飛行時間は約50分ほどで、もちろん機内にトイレなどありませんから直前に用を足しておきます。
それでは行きましょうか!とパイロットの方が声をかけて、重々しいドアを開けると空港の一角に停まっている飛行機が見えてきます。
乗客は自分だけ。パイロットの真横という凄い席に
座席はまさかのパイロットの横でした。飛行機というよりはジープに乗る感じがピッタリきます。車と同じようにシートベルトをして、出発準備を眺めています。空港の管制との英語による交信や航空無線でのやり取りも耳に入ってきて緊張が高まります。
プロペラが回りだし、出発指示が出ると、社員皆さんの見送りをうけながら滑走路へと向かいます。
ちなみに自分のところにもハンドルがあるので副操縦士の席ともいえるのでしょう。
加速していくと風を受けて揺れますが、構わず上昇すると案外スイスイと高度2500フィートくらいまで上昇していきます。
ほどなく錦江湾に出て、パイロット側のほうに桜島がきれいに見られます。自分のいる右手側には鹿児島の市街地が見えて遊覧飛行を楽しんでいるかのようです。
開聞岳や池田湖を過ぎて東シナ海に出ると遠くに屋久島が雲の上から頭だけを出している姿も見られます。
ほどなく薩摩硫黄島が見えてきて着陸態勢に入るものの
徐々に水平線の彼方から島影が見えてきてうっすらと煙が上がっているのが確認できるようになりました。いよいよ薩摩硫黄島が近づいてきました。
島の西側に600mほどの短い滑走路が見えてきます。かつて1973年にヤマハリゾートによって作られた設備が1994年に三島村に移管され、その後2014年から定期チャーター便としての運行が始まっています。海岸線はどちらも断崖絶壁で滑走路をはみ出したら大変だという恐怖心が湧き出てきます。
北風が強いので一旦滑走路を通り過ぎてから反転しますが機体が風にあおられて上下左右にフラフラするので心臓に悪いです・・・。
何とか滑走路が見えて車輪がついたのですが、風にあおられ不安定なため再び加速上昇。飛行場で待つ人が見えたので恐らく折り返しで帰る人なのでしょう。
パイロットも「ちょっとこれは本気出していきますか」という感じで、再度チャレンジします。
2回目は運よく煽りの風が弱かったので無事に着地して一気にブレーキがかかり成功です。
そのまま待機所に向かい、エンジン停止後の確認をして降機します。
追い風を受けたので通常よりも10分以上早い到着だったようです。
帰る方が、一回再上昇した時はダメかー!と思ったそうで、心の底から喜んでいました。
飛行場を撮影して島の中心部へと歩いていくことにします。
公共工事の人をたまに見るくらい
硫黄島は人口138人あまりの小さな島で、道路整備の公共事業をしている人を見たきり、あとは1時間くらい人の気配すらない島でした。
それでも携帯の電波はちゃんと届いているのでGoogleMapを頼りに歩いていきます。
俊寛堂へと歩いていく
ひたすら歩いていくと、港と断崖が見える場所に出ました。雨のせいではなく、流れ出る硫黄によって港が茶色く濁っています。断崖は広大なカルデラの一部とも言われており、硫黄岳の活動にも密接にかかわっています。
この島は平安時代後期の僧、俊寛の流刑地という説が残っており、俊寛堂という建物があります。ここでは三島村野外歌舞伎「俊寛」が実際に演じられています。
東温泉へ歩いていく
歩ける範囲は限られているし、時間もそれほどないので、東温泉へと歩いていきます。
途中からは岩場を歩くので足元をより慎重に進んでいくと波打ち際に湧く自然の湯舟が3つあり、海に近いほうが少し温度が下がるというものです。
まさに自然の奇跡のような温泉ですが、脱衣所とかは全くないので足湯にとどめますが、とにかく気持ちいいです!人の気配が全くなくて大声で叫んでも誰も聞く人がいないというのはそれだけでも開放感バッチリでした。
再び上り坂を進んで港へと向かう
温泉まで一気に下りてきたので、帰りは逆の上り坂。。。ヒィヒィ言いながら上っていくと既に2時間近く歩いている計算で足もクタクタです。
かつてヤマハの建設していたリゾート地(現在の冒険ランドいおうじま:閉鎖中)を見ながら再び港へ向けての急坂を下りていきます。途中にはクジャクが堂々と歩いていたりしました。
ようやく家や人の姿を見るようになってくると港が近づいてきました。
硫黄島港13:30(フェリーみしま)鹿児島本港19:30
港にある販売所でパンを買おうとしたら、あいにく無人でお菓子が少しある程度。ちゃんと自分でお金を計算して払っていき、近くの集会所に入って休憩します。何しろ風が強くて外にいるだけでスタミナを奪われます。きれいなお手洗いも借りてホッとすると、入港の案内が流れてきます。
そして、この島にはアジア唯一のジャンベスクール「みしまジャンベスクール」があり、西アフリカの打楽器ジャンベを学ぶ学校として知られています。
船が入港するとその生徒さんが下りてきて、歓迎の演奏が行われたりしました。
予想よりもでかい船が入ってきて、島に物資を運ぶという大きな役割を担っているのがよく分かります。短時間で荷物の出し入れを行う間に船内で乗船券を購入します。
船内は随分空いているので2等船室を1部屋貸し切るくらいな感じでした。
黒島は片泊港のみの立ち寄りに
出港してからある程度揺れを警戒していたものの、船もデカいのでそれほど揺れも大きくなく、しばらく横になっていました。電波はWiFiがあるので常に連絡も取れます。実際に電話が会社からかかってきました・・・。
それでも北風の影響を受けて黒島での停泊は片泊港のみとなり、1時間半ほどかけて黒島に向かいます。こちらも断崖のせり立つ島で、人口は160名ほどです。
島を後にすると鹿児島港まで4時間の長い航海です。
夕暮れが近づく頃に開聞岳の南を過ぎていき、指宿と大隅半島の錦江町の間を通りながら鹿児島湾に入り、すっかり日が暮れた頃に鹿児島港の南ふ頭に着岸しました。
鹿児島ラーメンを食べつつ宿へ
宿は昨日泊まったところと同じですが、万一のことを考えて荷物を全て持って出ています。少々重たいですが、ここから1キロ半ほど歩いて戻ります。
途中にお店を見つけて少々並びましたがほどなく入って、豚骨入りラーメン+半チャーハンを頼み、ガッツリと食べました。