前回浜松市にあるJR飯田線の駅の内、旧佐久間町の7駅を紹介しましたが、今度は旧水窪町の6駅を紹介致します。
JR飯田線の水窪町内は1955年に付け替えた路線
佐久間ダムの建設工事により生まれた区間
佐久間町と水窪町をつなぐために2つの長いトンネルがある
天竜川の水害対策や電源確保の為に水力発電所を建設すべく佐久間ダムがつくられた影響で、国鉄飯田線の中部天竜~大嵐の区間は路線変更をしました。
水窪町の中心街へ向かうには山を越える必要があり、3kmを超す長いトンネルが2つ作られました。
かつての国鉄バスはオンデマンドバスに
天竜浜名湖鉄道の西鹿島駅と国鉄水窪駅の間は国鉄バスが走っていましたが、遠鉄バスに移管されたのち、現在ではオンデマンドバスとなり、マイクロバスが細々と走るようになっています。
相月駅
峯トンネル出口の駅
佐久間駅を出て3.6kmあまりの峯トンネルを抜けると、旧水窪町内に入り、国道152号線を高架でくぐると相月駅に出ます。
駅の先は次のトンネルが控えており、地形の厳しさを物語っています。
国道152号線沿いに駅があるので、駅の先にある駐車スペースに停めて階段を上がっていくと駅に出られます。
城西駅
かつての行き違いの跡が残る駅
城西駅は蛇行した水窪川を避けるべくトンネルで抜けた先にあります。
駅前に少し停められるスペースはありますが、浜松側からだと段差が多いので入る時に注意が必要です。
ホームの一部は線路がはがされています。
駅舎は一段高い所にあり、スロープを下りてホームに行きますが、線路の片方ははがされており、ホームの長さの割には寂しい駅の風情です。
川を渡らない橋(第6水窪川橋梁)
山を迂回するようなこの橋は?
城西駅を出ると川を渡るかと思えば、渡りきらずに元の岸へと戻るという鉄道的にも迷所なところがあります。
もともとはトンネルで抜ける予定のところが、地形が不安定で崩壊の恐れがありやむを得ずトンネルを放棄し、とりあえず避けれればよいということでこのようなものが出来ました。
撮影する時は城西駅から向市場駅方面に歩いていくと、途中の橋の上から全容を見る事が出来ますのでここがおすすめです。
向市場駅
郵便配達員さんは郵便物を持って電車へ
国道152号線の水窪橋交差点を右折、春野方面に向かう途中にあり、駐車スペースも少しあります。
駅に着いたらちょうど郵便局員さんも下りて、郵便物を持って電車を待っています。場所によっては電車で行って、向こうの駅にあるバイクで配達するほうが圧倒的に効率が良いということです。
直虎で有名になった高根城址に近い駅
この駅の南側に大河ドラマ”おんな城主 直虎”で知られるようになった高根城址があり、案内板に沿って行くと無料駐車場があって山道を登る道に出られます。
水窪中学校に近い駅
この地域では唯一の中学校になる水窪中学校も駅のすぐそばにあります。
とはいっても利用者は非常に少ないようです。
水窪駅
中心街とは川を隔てる
水窪駅は国道152号線で中心部にある水窪協働センターなどを通り抜けたあとの橋を渡っていったところにあります。
駅のところに何ヶ所か停められる場所があるので、そこが一番便利です。
その存在を知らなかったので、塩の道国盗りのところに停めて佐久間側へ戻って吊り橋を歩いて渡っていきました。
水窪川の清流を見ながら歩くのは気持ちがいいです。
吊り橋は一度に20名までしか渡れませんが、特に揺れることもないので安心して歩いていけます。
対岸に出ると少々階段を登るのですが、手すりがないので足元に注意してくださいね!
特急停車駅ではあるが無人駅
駅舎がありますが無人駅となっており、人の往来も少ないです。
中心地になるので特急伊那路が停車します。
13:08発 岡谷行きが到着
豊橋発岡谷行きと6時間以上かけて全線を乗り通す列車が到着したので乗り込みます。ワンマンではないので、ドア横のボタンを押してドアを開けます。
313系3000番台2両 ガラガラの車内
コロナウィルスの影響もあってか、青春18きっぷの時期はそこそこ乗っている人がいるはずなのにほとんど人が乗っていませんでした。
ボックスシートでゆったりできます。
往復乗車券を発券。2駅で片道210円、10分の電車旅
車掌さんが来たので切符を購入します。
小和田まで往復で買い、行きの分は車掌さんが発券してすぐに回収します。
電車は上り坂を進んで、長さ5kmにも及ぶ大原トンネルへと入ります。
大嵐駅
水窪からは冬季閉鎖の林道のみ、実質愛知県側の駅
水窪からは長さ5kmに及ぶ大原トンネルを通っていき、かつての飯田線の線路とこの駅の手前で合流します。当時使われていたトンネルは南の夏焼地区とを結ぶ唯一の道路となりましたが、5年ほど前に地区の住民が誰もいなくなってしまいました。道路はかつて佐久間ダムの東岸を結んでいましたが、崩落によって廃道と化しています。
郵便局員さんはここで別バイクに乗って配達へ
折り返しまで30分ほどあるので、その間に周辺地域(といっても愛知県豊根村富山地区がほとんどですが)の配達をされるそうです。
東京駅を模したといわれる?駅舎兼休憩処
20年以上前に建て替えられた駅舎は、休憩処としても使われています。
ただ自動販売機の類とかはないので、飲食類は事前に購入しておかないと大変ですよ。
小和田駅
人家もない無人駅
旧水窪町最後の駅は小和田駅です。秘境駅の中でも3本の指に入る秘境っぷりが人気な駅でもあります。かつては1軒だけ家がありましたが、もはや誰も住んでいないところにある駅となり果てました。
天皇陛下の皇太子時代、御成婚で有名になった駅
1993年のご成婚の際に皇后さまの旧姓が「小和田」であったことから、読みは違えど同じ漢字ということでブームとなった駅です。
3つの県境が存在する稀有な駅
駅のすぐ先には、静岡県・愛知県・長野県の県境があるので、如何に辺鄙な場所に駅が存在しているかが分かります。
木造の駅舎が今でも残る
いつ建てられたかは分かりませんが、立派な駅名標のついた駅舎が残っています。
かつての集落への道はひっそりと残る
隣の塩沢集落までは崩落箇所があるものの一時間少々歩いていけばいけなくはないとのころですが、まず利用価値はないでしょうね。
かつては住んでる人もいたそうですが、今や無人の集落です。
駅舎内はこの駅で結婚式を挙げたご夫婦の写真が残る
この当時はバブル期でもあり、ここで十二単の結婚式を挙げられたりとか、ものすごいフィーバーに沸いたそうです。
令和になったものの、ブーム再燃とはならずひっそりとしています。
こういうところに必ずあるといっていい旅ノートがありました。
2001年当時は舞台もまだ残って、線路も行き違いが出来ていました。
昔の写真を掘り出すと行き違いや、保線用のスイッチバック線が残っています。今回は見られなかった結婚式で使われた舞台もまだありましたね。
帰りの電車は6時間かけて飯田線直通する3両編成
ここで20分少々滞在して、飯田方面からやってくる列車に乗ります。
こちらも全線直通運転の列車で、東海道本線の豊橋以西で走るのと同じ転換クロスシートの313系が使われています。
水窪駅に到着し、きっぷを車掌さんに渡します。
豊橋駅に着くのは16時を過ぎるので、まだまだ2時間以上乗り続けることになります。
再び橋を渡って駐車スペースへ
自分は駐車スペースに戻って、ついでにと山越えをして飯田市へ向かいます。
兵越林道もだいぶ整備されたので走りやすくなりました。
長野県側に抜けると、かつての南信濃村の町並に出る手前まではガタガタした細い道ですが、だいぶ県境のトンネル工事も進んでいるようで、ここが開通するとグッと距離が近づきそうです。
ただ和田地区にあったかぐらの湯はトラブルにより土産処も含めて当分休業となっています。
林道、長野県側からの景色
起伏の激しい山並みが見える雄大な風景が目に入ってきます。
この先には日本のチロルといわれる下栗の里や、夏でも涼しいしらびそ高原がありますし、バイパス沿いには廃校になった木造の旧木沢小学校が資料館として残されていて、近くには森林鉄道のレールを復活させた場所もあります。
飯田市の啓榕社(けいようしゃ)さんへ
週に2日(火曜・水曜)だけ営業しているカフェへ。
ここは日替わりで店舗形態が変わり、カレー店、喫茶店などが入っています。
飯田駅のすぐ裏にあるのでアクセスも良く、年齢層も豊富な情報交換の場となっています。こういう形態のお店は浜松でもあまり見かけないので、参考にしたいところですね!こだわりのコーヒーもケーキも美味しかったです。